萩沖、相島の釣り豆の館

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It's nanchatsute isoturi syuudan

平成7年3月中旬、まだまだ寒風吹き荒れる寒空の下、適度な不安と緊張感を乗せて老船長の操船する瀬渡し船はウネリの残る日本海は萩市の大井浦漁港を出港した。ここから現在に至る私の磯釣り人生が始まりました。

<釣りとの出会い>

平成5年の春、これまで勤めていた店を退職し独立開業して間もない頃です。手探りの業務で気持ちのゆとりも無くストレスフルな毎日を過ごしていました。開業後2,3ヶ月が過ぎたある日、業務上でお付き合いのあるディーラーさんから「釣りをやって見んかね?」と誘いを受け、だましだましついて行った防府、野島の防波堤が最初でした。自身の実家がかつて漁業を営んでいたとは言え、釣りをするなど子供の頃から数えて何十年ぶりだろう!?その時は釣りへ出かける為の準備の仕方も全く分らず、案内役のディーラーさんの言われるままに“2000円程度のチョイ投げ竿に釣具屋のワゴンに山積みされている、すでに糸の巻かれた安物のリール”と発泡スチロールの簡易クーラーを買って出かけました。

当時、自家用車も持っておらず、行きはディーラーさんに防府から迎えに来てもらい、帰りは三田尻港からバスに乗り、防府駅で電車に乗り換えて家まで帰った記憶があります。野島を朝一番の定期船で帰ったので、帰りの電車は当然通勤時間帯である。ボロな服装にコンパクトロッド(もちろん裸で)と発砲スチロールの箱を持ったいかにも場違いな格好で、学生さん達で賑わう通学列車に居合わせたのですから笑ってしまいます。
当時のもう一つの思い出と言えば、初めて昼間からビールを飲んだ事。出発前に停泊している定期船のデッキの上で案内役のディーラーさんと当日の釣行にもう一人居られた顔見知りの同業の先輩のすすめで缶ビールをご馳走になった。アルコールがあまり得意でなかったので昼間から飲むなんて考えもしない事。ヤバイと言う変な罪悪感の中、付き合いだしなぁ・・・と言う流れでグィっと飲んだら、やけに気持ち良かった。レジャーとしての釣りの処女的なキオクは釣れた獲物などのモノではなく、ざっとこんなものだった。
当時30歳、体重52kg ● その後ビールにはまり65kgまでデブになる ● 現在の体重60kgである。 

<初めての瀬渡し>

ウネリにもまれながら小さい船体の割りに大きなタイヤがホースヘッドに装着された瀬渡し船は大島へ航路を取ります。大井浦港から出ている瀬渡し船は、酒好きで有名だった「金甚丸」の老船長、通称“カナジンのじいちゃん”という人でした。主に大島、櫃島(ひつじま)を守備範囲にして、常に酒臭い状態でしたが見回りなども良く来てくれて、見かけによらず親切な方でした。
生まれて初めて上がった磯、大島の西側“学校下”の瀬。事前に宇部の釣具屋の主人から口頭で手ほどきを受けていたが、上がってみると勝手が違う。その時の脳みその中は「磯釣り=危険→死ぬ」そんな思いで一杯でした。どう言う訳か、初めての磯釣りなのに熟練者と一緒でもなく、不安だらけの冒険をよくもまあしたものだと、我事ながら関心したものだ。“チョイ投げから究極の釣り場へ”気分も最高潮。。。しかし何のことは無い。日常生活では感じられない風景のすばらしさと磯の現場に居ると言う小さな達成感に酔ってしまい、いざ実釣と言う時に段取り悪く、仕掛けを作ろうとして竿の穂先カバーを外した瞬間「ポキっ」!!!!
この日のために思い切って買って準備しておいた、ダイコーの本格的磯竿のご臨終の瞬間でした。一度も曲がる事も無く穂先交換の哀れき目に遭った「ステイシア1号」も買ってくれる人を選びたかっただろうなあ・・・

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朝10時を回り「学校下の瀬」に金甚丸がやって来た。こちらに向かってマイク越しにしゃがれた声で「くぅ〜たきゃ〜」とガナル。磯のオキテも良く分らないので、とりあえず両手を挙げて(西城秀樹のYMCAっぽく)合図したら、船をこちらに寄せてきて、「瀬代わりせぇ」・・との事。瀬代わりと言っても、何処へ行ったら良いのか分らないので、「じいちゃん任せるデ〜」と馴れ馴れしく言うと、じいさんご機嫌だったのか!ニヤニヤしながら口の中の総入れ歯を外したり付けたりを繰り返しながら話し出した。
「おぅっ・・おりゃ今まで大島でのーじょったいやぁ〜」ヒック・・・通訳すると「俺は先ほどまで大島で飲んでいた」ヒック・・となる。そしてさらにヒートアップして「早苗ちゃんがぁ〜どうのこうの・・・」と話し出した。じいちゃんは「かっちゃん食堂」と書いてある帽子をかぶっていたので、おそらく大島に上陸して「かっちゃん食堂」と言う所で飲んでいたに違いない。それにしても「早苗ちゃん」ってだれだ??
まあそれは良いとして、クダクダと話ながら船は大島北側の象の鼻をぐるっと回った先のワンドになった瀬に着いた。もうこの頃になると、じいちゃんの愛嬌も手伝ってか、大島の磯の雰囲気になじみ始めている自分を感じる様になっていた。

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磯釣りを始めようと思った時、何から取り掛かれば良いのか全く何も分らないので、とりあえず本屋へ行きハウツー本を探した。“釣り・アウトドアー”のコーナーには数冊の磯本が有った。
とりあえずどれでもイイやって思い、買って帰ったのが小里哲也さんの、「最新磯釣り塾」と言う本でした。内容は「グレ編」「チヌ編」「その他」と分かりやすく、面白く展開されていた。本文中に出てくる魚名で、「チヌ」は何となく分ったけれど「グレ」と言う魚はどんな魚なのか、その時は分りません。しかし差し込んである写真を見ると、どうもクロヤ−ではなかろうか。(私の故郷、奈古ではグレをクロヤーと呼んでいた) 多分それだろう。小里哲也さんは、釣具メーカー、シマノのインストラクターをされているようだ。本を読み漁ったその時から、釣具と言えば「シマノ」って脳裏に焼きついてしまいました。古い話だね〜・・
その当時のリール、BB−Xの番手表示は850とか950と言っていたなぁ〜。
<そして銀鱗との出会い>

磯の雰囲気にも慣れ、瀬代わり後の第二ラウンド。
2回目の瀬上げを完了した金甚丸は勢い良く去って行った。また「かっちゃん食堂」へ戻るのかな?なんて思いながら、事前に釣具屋の主人から教わっていた仕掛けを作り、餌の撒き方からタナ合わせまで、そのまんまを実行したものです。そんな事で迎えたお昼過ぎ、仕掛けの工夫など出来る術も無く、ただひたすらウキ下竿1本の遊動仕掛けを何度も打ち返していると、少し沖目でウキが勢い良く沈んだ!ビックリしてリールを巻いた途端、ズシリと重量感が伝わってきた。うわぁ〜何じゃこりゃ!!自分で自分の姿を見ることは出来ないが、想像するに、へっぴり腰で竿先はお辞儀したまま、ルアー釣りのゾロ引き見たいな感じのやり取りをしていたのではないかな?・・・・・
上がってきたのは40センチにも満たない魚体ですが、凛々しい姿の磯チヌでした。喜びと興奮で手足は振るえ、魚を手にした時の感動は今でも身体中にしっかりと焼きついています。

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大井浦に行かなくなってどの位たつだろう。すばらしい思い出を沢山与えてくれた、金甚丸と大島の磯。人の命は永遠では無いけれど過ごした時間は永遠であって欲しいと願う。また何時か同じ感動を同じ場所で味わう事が出来るのだろうか?もちろん人生は今と未来が最高だけれど、少しだけスタートした地点へ返って見たくなった。

(平成18年 1月 記)

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